高校中退アホ女子が起業して年収1000万を得たストーリー 第一話 小学校に入るまえまで

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初めまして、中村華子です。

 

私は25歳だった2006年の4月に起業し、4か月後に月商100万円を達成しました。

 

そして、1年目で、1,000万円の年収を得ました。

 

2012年、学研より初出版し、2013年には2冊目を出版しています。

 

末っ子が産まれる前に離婚することになり、

現在、7歳、4歳、1歳の子どもと、4人で暮らしてます。

 

 

会社は続けるつもりでしたが、生まれたての末っ子を抱え、

同じペースで働き続けることは難しく、

離婚後、間もなく会社を清算。

 

 

現在は、個人事業で、
子育てを優先したのんびりペースで働いています。

 

会社を清算し、働き方を見直すことで、

 

子育てはもちろん、

 

興味のある分野の勉強にも、時間を使えるようになりました。

 

 

そのおかげで、

もともと興味のあった食や健康でも、ビジネスを行っています。

 

そういうと、

『すごい!アタマが良いんですね!』って言われますが、

 

わざわざ入学した高校を中退するくらいですから、はっきり言ってアホです(笑)

 

学歴?ありません。

高校2年生の時に中退し、その後、県立の通信高校を3年かけて卒業しました。

 

お金?ありません。

起業したとき、お財布には2,000円ほどしかなく、銀行にも15,000円しかないという、激貧ぶりでした(笑)。

 

コネ?ありません。

コネを作ろうと異業種交流会に行けば、ホステス扱いされる始末で、すっかりお酌係。
コネや人脈を目的に行動するのはやめました。

 

経験?ありません。

未経験なのに注文をいただいたから、焦りました。納品できない!って(笑)

 

そんなナイナイ尽くしの私ですが、

あるものを追い求めた結果、起業することになりました。

私が追い求めたあるもの。

 

 

それは『支配されない生き方』です。

もっと簡単な言葉で言うと、 自立  です。

 

 

目標を達成したいとき、

十分なWHY(理由。なぜ?)があれば、HOW(方法、やり方)が見つかる。
と言います。

 

私の中のWHYは、自立したいということでした。

そのためのHOWが、起業だったんです。

 

まずは、私が自立したいと思った理由から、お話ししていきます。

 

私は、親から虐待され、

支配されていると感じながら幼少期を過ごしました。

だから、支配されない生き方がしたい、と思い続けていました。

幼いころの記憶を思い出そうとすると、
自分が受けた虐待の記憶が、驚くほどないんです。

 

辛い記憶が多いと、生きていきづらいじゃないですか。

 

特に親からの虐待は、自分の存在を否定され続けるのと同じことです。

自己否定、存在価値の否定につながります。

 

だから、辛い記憶は脳みその奥底に追いやって、思い出さないようにする。

心理学では乖離(かいり)と言います。

 

 

自分を守るための、一種の自己防衛です。

 

 

また、日々の恐怖に対応することにエネルギーを費やしていたからか、

学校のことや、友だちとのことを、あまり覚えていません。

 

でも、何かひとつ思い出すごとに

悲しい記憶も、思い起こされていきます。

 

まるで、端っこを結んだ何枚ものハンカチみたいに、

するする、するする、

たくさんの思い出したくないことも、思い出されました。

 

その時住んでいたのは、
きんもくせいがたくさん植わっていて、
甘い香りを漂わせている家でした。

 

家の中は荒れていて、
山積みになったキッチンのコップやお皿には、
よくアリの行列ができていました。

親からの虐待は、ある日突然始まったものではなく、
物心ついたときには【いつもあるもの】でした。

 

当たり前の日常のなかに、親からの暴力がありました。

 

私の家族は、父と母、母の連れ子の姉と兄、私と弟の、6人家族でした。

 

両親はよく夫婦げんかをしていて、
お互いを罵りあう怒声や、モノが飛びかい、包丁が出てくることもよくあって、

テーブルの下に弟と寄り添って、怯えていました。

父母はずっと水商売で、夜は子どもたちだけで過ごしていました。

 

5歳ころ、雨の夜に風の音がひどく怖くて、
2歳下の弟と抱き合って眠った記憶があります。

 

私も弟も、幼稚園にも保育園にも通わされておらず、
毎日、朝昼兼用のご飯を、
二人で手をつないで、
近くのコンビニに買いに行っていました。

ある日、父母のお金だか財布だかが見つからないとのことで、

兄弟全員裸にされて、縛られて、
1日ほど部屋に転がされたことがあります。

 

連帯責任と言って、
兄弟全員で一晩中正座させられることも、よくありました。

 

5歳ころから、正座で夜を明かした記憶があります。

慣れとはすごいもので、正座したまま眠れるようになるんです。
眠ってるのがばれると、殴られちゃうんですけど(笑)。

 

母は口癖のように、

誰のお金でご飯食べてるんだ!
誰に養ってもらってるんだ!
と繰り返していました。

 

姉は意地が悪くて、
勝手にお菓子を食べたり、ものを無くしたことがバレると、
それを兄に押し付けては、兄がよく殴られていました。

 

そもそも、家にあるお菓子を食べて殴られるって、異常ですが。

 

異常なのが当たり前でした。

 

 

親は異常なほど怖く、
特に母の存在は、
恐怖以外の何物でもありませんでした。

 

でも、子どものころはよそを知らないので、
それが普通だと思っていました。

 

兄が
初めて、母から包丁で切られたのは、
この家でだった、と後から聞きました。

 

そんな兄は、
見栄っ張りの父母が飼う犬や猫のペットに、
殺虫剤をかけたり、おむすびを食べさせたりして、
いじめていました。

 

10歳かそこらで
母親から切り付けられる日常を送っていれば、
心がゆがむのも当然です。

 

虐げられていたストレスを、ペットで発散していたのでしょう。

 

思い出しても胸が痛いです。

 

そんな両親が、
私の小学校入学直前に戸建てを買い、引っ越しました。

 

埼玉県の都会から少し離れた、
小さい庭と、駐車場がある、中古住宅でした。

 

ここにも、きんもくせいが植わっていました。

 

母はどこでもトラブルメーカーで、
引っ越した先でも、もめことを起こしていました。

 

小さな庭先で犬を飼っていましたが、
誰も面倒をみず、
散歩もしてもらえないため、よく鳴いていました。

 

ある日、そのけたたましい鳴き声に、
ご近所さんから苦情を言われたことがありました。

 

普通なら謝って、散歩をするようにすることでしょう。

 

でも、母は謝るどころか食って掛かりました。

 

母に憤慨したご近所さんは、
周り近所を連れ、大挙をなして抗議に来ました。

テレビのニュースで見る、暴動みたいな感じです。

 

自分の家の玄関先に集う、怒れる大人たちの姿は、
ただただ怖い光景でした。

 

父と母はよく激しい喧嘩をしていましたが、
父と、父違いの姉兄も折り合いが悪く、

警察を呼ぶような騒ぎを何度も起こしていました。

 

発狂した姉が、家中に灯油をまいたこともありました。

幼い私と弟は、
なんだ、お水まいてんなぁと思っていましたが。

 

そんな『普通ではない家』は、
ご近所さんから敬遠されるようになっていきました。

 

私たちは、

近所の子どもたちから、
『あの家の子とは遊んじゃだめって言われた』
と言われるようになりました。

 

自然と、近所に仲のいい友達はいなくなりました。

 

私は小学生になり、
友だちが出来ると、

友だちのお母さんやお父さんの優しい姿に、かなりの衝撃を受けました。

 

怒られないの・・・

好きなもの買ってもらえるの・・・

家族みんな、いつも笑顔なの・・・

 

ふつうの子どもは、

親に甘えて、信じて、愛される、と知りました。

 

そんな小学一年生の時、
私は同級生のお誕生日会に誘われました。

 

そのことを母はに告げると、
何を思ったのか、
そのあと間もなく、私のお誕生日会を開いてくれました。

 

仲のいいクラスメイト5~6人を招いて、
生まれてはじめてのお誕生日会です。

 

家はきれいに片づけられ、

見るからに美味しそうなケーキや、

豪華なごちそうと、

たくさんのお菓子やジュース。

 

普段目にすることのない幸せな我が家の様子が、
嬉しくて、
友だちに誇らしくって、
興奮しました。

 

箱に入ったくじ引きと
おもちゃやお菓子の景品も用意され、
友だちも大喜びです。

 

笑顔と笑い声があふれて、幸せな時間でした。

あっという間に時間が経ちました。

 

夕方になり、友だちを見送って振り返ると、

そこには怒りをあらわにした母がいました。

 

いつもとは違う我が家や、ごちそうや、楽しいひと時に、
7歳になったばかりの私は
調子に乗ってしまっていたのかもしれません。

 

母は、私の頬を何度も叩いて、怒鳴りはじめました。

 

 

準備に時間とお金がものすごくかかった、

お前はまったく手伝わず、とても疲れた、

お前の友だちのプレゼントは価値のないものばかりだった、

何かしてもらうことが当たり前だと思うな、

お前のせいで嫌な思いしかしなかった、

もう二度と、誕生会などしない。

 

母に無理をさせてしまったんだ。

私は、泣いて謝りました。

 

お母さん、ごめんなさい。

手伝わなくってごめんなさい。

はしゃいでしまって、ごめんなさい。

私が全部片付けるから、もう何もいらないから、

許してください。

 

 

でも母は、許してくれませんでした。

私の髪をつかみ、引きずりまわしました。

 

さっきまで笑い声が響いていた幸せな誕生会は、
一転して、
私を殴る母の怒鳴り声と、私の泣き声だけが響きました。

 

その後、私が友だちを招くことは、
一度もありませんでした。

 

引っ越してから、父母は繁華街でスナックを始めていました。

 

夜は子どものみで過ごす生活が続きました。

当時、父母は車でスナックに通っていて、深夜に帰ってきました。

 

毎晩、父母の帰宅を車のエンジン音で察知して、
起きていたことがばれないように兄弟が一斉に眠る、というのが日常でした。

 

そんな父母が不在の夜、
今にして思えば、私は兄に、性的いたずらをされていました。

 

姉がいない部屋で、
7歳かそこらの私を裸にし、四つん這いにさせて、
お尻に何かを入れられました。

 

サランラップをまいた棒だよ、
とか言われていましたが、
それは兄の性器だったのかもしれない。

 

約束を破ったとか、いけないことをしたとか、
だからおしおきだよ、
と言われていた気がします。

 

虐げられているストレスを発散するためのはけ口が、
ペットから私になったんだろう、
と今では思います。

 

当時は小学校低学年ゆえ、
良く意味は分かっていませんでしたが、

なぜかものすごく後ろめたい気持ちで、誰にも言えませんでした。

 

そして、大人になるまで、記憶の奥底に封印していました。

 

・・・・第二話に続く

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  1. 2016年 3月5日
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中村華子プロフィール

キャプチャ

はじめまして、中村華子です。
3人の子どもと暮らすシングルマザーです。

親から虐待されて育ち『支配される恐怖』のなかで子ども時代を過ごしました。

アホ女子高校を中退しフリーターしていましたが、

『一生、誰にも支配されない生き方がしたい』と25歳だった2006年に起業し、1年で年収1,000円になりました。
↓2年続けて、本を二冊、出版しました↓


 
女子でも、

学歴も、才能もセンスも、

コネも人脈も、 経験も特技も、

何にもなくても、

依存せず自立できることを、身をもって体験しました。

 

少し昔の私と同じように『今を変えたい!』と思っていたら、
大丈夫です、ぜったいあなたでもできます!と伝えたい。

そのために、私の経験や知っていることを活かして欲しい。 そう思って、ブログを書いています。


もしすこしでも私のことに興味を持たれたら、ためしに読んでみて下さい!

アホ女子高校を中退したフリーターが、起業して年収 1000 万を得るまでレポート

 

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もし長い文章でも良ければ、こちらも読んでいただけると嬉しいです。
(左の画像をクリックすると、ストーリーが読めます)

恋愛、仕事、起業、二度の結婚と離婚、出産、子育てなどなど、隠すことなくいままでのすべてをさらけ出した、私の生い立ちストーリーです。
寝不足になってしまう、と好評です(笑)。

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