第二話 虐待の終わり

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昼間は、小学校から帰ると、

私は弟と二人で、

スナックで使うおしぼりをクルクルと畳むのが日課でした。

 

 

父は気付くと夜の仕事をしていないときもありました。

 

その時期は、毎週日曜日の朝に

父と私と弟で、

泥酔した母をスナックに迎えに行きました。

 

片付けや支度をする母を待つ間、

スナックのカウンターで、

必ず吉野家の牛丼を食べていました。

 

週一回のごちそうで、

これほど美味しいものが世の中にあるのか!!と思っていました。

 

そのせいで、大人になってからも

『吉野家最高』思想が抜けませんでした()

 

 

そんな日々の中、一番ひどく虐待されていたのは兄でした。

 

母は機嫌が悪いと、兄に難癖をつけました。

 

兄だけ晩ごはん抜きにして、

みんなが食事をとっている横に正座させたりしていました。

 

明らかに兄が悪くないことが多く、

兄がかわいそうでしたが、

母に逆らえる兄弟はいませんでした。

 

おなかを空かせて、

悲しそうに、辛そうにしている兄の表情は、

何十年たっても忘れられません。

 

 

林間学校や修学旅行の出発当日には、

部屋に閉じ込めたり、布団でぐるぐる巻きにしたりして、

行かせませんでした。

 

煙草を持った母が、

泣き叫ぶ裸の兄を追いかけまわし、根性焼きするところを、

兄弟全員で正座で見させられたりもしました。

 

私は、これ辛かった。

 

自分が食事抜きにされて、

兄弟が食事する横で、正座していたこともあります。

 

髪の毛をつかまれ、

家じゅうを引きずられたこともあります。

 

寒い真冬の浴室で、

裸にされ、

冷たいシャワーを延々とかけられたこともあります。

 

革のスリッパで、何十回も叩かれたこともあります。

 

 

でも、兄を守れなかったこと。

 

自分の保身を優先してしまったこと。

 

 

その記憶は、何よりも辛い記憶です。

 

幼い子どもが、

大人に、まして普段から恐ろしい母に、

抵抗することはできません。

 

でも、思い出すたび、苦しい気持ちになります。

 

のちに、

15歳から16歳までの2年間を

再び母(と母の再婚相手と弟)と暮らすのですが、

 

弟をかばって殴られたとき、精神的にとても楽でした。

 

 

姉はてんかん持ちだったため、

折檻されているシーンは見たことがありません

 

てんかん、とは、脳の病気です。

 

人によってさまざまな発作を繰り返し起こすそうです。

 

 

きちんと薬を飲んでいると発作は出ないそうですが、

精神的ストレスや体の疲れ、

不規則な薬の服用からか、

何度も姉の発作を目の当たりにしました。

 

姉の発作は、突然倒れて

白目をむいてけいれんし、泡をふきながら嘔吐します

 

幼い私にとって、

その辺のホラー映画よりもはるかに恐ろしい光景でした

 

 

弟は末っ子だったからか、

そんなに殴られることはありませんでした。

 

母と、兄弟たちとを、行き来している感じでした。

 

私にとっては可愛い存在で、

弟が虐待の対象になることが少なかったのは、

かなり救いに感じていました。

 

でも兄からすると腹立たしい存在だったようで、

暴力は無いものの、

意地悪を言ったりしていじめていました。

 

末っ子のおおらかさで、

弟はそうされても気にする様子はなく、

変わることなく姉兄に甘えていました。

 

 

母ばかり虐待している様子が続いていますが、

おもたる虐待者は母でした。

 

父は止めずに、傍観していることが多かったですが、

虐待者にまわることもありました。

 

いつしか母とスナックに行かなくなった父は、

学校の非常勤講師をしていた時期もありました。

 

そんな父は、

私と弟への勉強の指導を良く行っていましたが、

 

なにかにつけて竹刀で叩かれ、

とうてい小学校低学年の子ども相手とは思えない指導をしていました。

 

母ほどではないものの、

父もやはり恐ろしい存在でした。

 

 

また私と弟が勉強する時間は

姉兄にもテレビを見せず、

父母が不在の時、姉兄からなじられました。

 

 

小学3年生で父母が離婚した後、

私たちの生活はますます荒んでいきました。

 

母は毎晩のように、

きらびやかな洋服に身を包み、

スナックへと出かけていきました。

 

色とりどりの貝が飾られた

美しいワンピースで、

ハイヒールをコツコツ鳴らして出ていく母とは対照的に

 

部屋の中にはゴキブリが走り回っていました。

 

干されっぱなしになった洋服にも、ゴキブリが駆け上っていました。

 

部屋中にあるゴキブリホイホイには、

とらえられてしまったネズミが、

悲痛な叫びを上げていました。

 

 

私と弟は、

もともと多かった遅刻や忘れ物はさらに増え、

シワだらけで季節感の無い汚れた服装で、

 

教室の中でますます浮いた存在になっていました。

 

 

誰も髪をとかしてくれず、そんな習慣もなかったから、

毎日ぼさぼさの髪で、

通りすがりの知らないおばさんが、

『鳥の巣みたいよ』と髪をとかしてくれることもありました。

 

 

同じころ、

姉がバイト先のお弁当屋の店長と結婚し、嫁いでいって

母と、兄と、私と弟の生活が始まりました。

 

 

ここからの約二年間の生活がまた壮絶で、

あんまり記憶がありません。

 

 

基本的には成長し腕力がついて、

母に抵抗できるようになった兄が、私と弟を守ってくれていました。

 

そんな兄に、母が包丁を向けることは日常茶飯ことでした。

 

 

クリスマスに、若干16歳の兄が、

お菓子の入ったアルミ缶のバッグをプレゼントしてくれました。

 

16歳で、

父違いの妹と弟を守り、

クリスマスプレゼントまでくれた兄。

 

その気持ちを思うと捨てられず、

ボロボロになったアルミのバッグは、

今でもとってあります。

 

 

どんな食生活だったのか、

まったく覚えていませんが、

水に砂糖をとかして飲んでいた記憶があります。

 

子どものためのごはんや食料が無い家でした。

 

 

郊外の一軒家のため家は大きく、

かなり広めの4LDKでした。

 

父と姉がいたときは、

それぞれの部屋を寝室やリビング、

ダイニングとして使っていましたが、

 

気付くと私と兄弟は、玄関わきの

6畳和室のみで生活するようになっていました。

 

母は2階の一番奥の部屋を使うようになり、

2階に上がるだけでも緊張しました。

 

 

そのころ、兄に連れられ、

3人で何度も家出しました。

 

どかんの中で眠っているところを、

お巡りさんに見つかって連れ戻されたこともありました。

 

兄が通う近所の高校の部室に忍び込んで、

夜を明かしたこともありました。

 

家出の時は、

兄が食べ物を持ってきてくれていました。

 

 

今にして思えば、バイトなどしておらず、

もちろんお小遣いなども無かった兄は、

食料を盗んできていたんだろうと思います。

 

 

家出の時は学校を無断欠席していわけですが

先生が何かしてくれた記憶はありません

 

忘れ物が多く、汚い服装で、

一目で家庭環境の悪さがうかがえる子どもでした。

 

そのうえ、無断欠席しがちでも、先生は知らん顔でした。

 

 

殴られるたび、

 

正座させられるたび、

 

母の怒号を浴びるたび、

 

 

誰か、助けて・・・

と思っていました。

 

 

誰かが、私たちを救ってくれるかもしれない・・・

 

 

そうして助けを求めていましたが、

誰も助けてくれませんでした。

 

母は反抗するようになった兄に怒り、

兄を勝手に高校退学させてしまいました。

 

 

母は、子どもを所有物のように扱い、

そのすべてを支配するのが当たり前

と、考えているようでした

 

 

この時期、

兄から私への性的虐待が再発しました。

 

弟が寝付くとはじまる、

兄の性的ないたずらに、

小学校高学年になっていた私は、

 

これはいけないことなのではないか、と思っていました。

 

でも、そう思いつつも、

直接的に拒否したり、

兄にそのことを話したりすることはありませんでした。

 

 

正確には、出来なかった。

 

 

その時

私の身の安全は兄に依存していて、

関係を壊したくなかったように思います。

 

朝になれば普通の兄妹で、

夜だけ時々、

おかしな状況になる。

 

これも、大人になるまで、思い出すことすらありませんでした。

 

 

母からの暴力と、育児放棄。

 

兄からの性的虐待。

 

そんなひどい毎日を変える、事件が起きました。

 

 

小学五年生の冬、

母に呼ばれて2階奥の母の部屋に行きました。

 

部屋に入ると、

紐をもった母が、

まさに鬼のような形相で、私をにらみつけました。

 

心配そうに見つめる、弟のひとみ。

 

迫りくる恐怖を感じながらも、

こっちへ来なさい、

という言葉に従うことしかできず、

 

母の持ったひもが私の首を絞めました。

 

痛い、苦しい。

でも体がしびれたように動かず、漠然と死を思いました。

 

ずいぶんと長い時間に思えましたが、

兄が止めに入ってくれて、首からひもが解けました。

 

 

もう一緒には暮らせない・・・。

 

 

ぼんやりと、そう思いました。

 

どんな理由での母の行動だったのかは記憶にありません。

 

ただ、母のもとから離れる、大きなきっかけになりました。

 

 

それから数日して、

母の友人のおじさんが部屋にやってきて、

父の所へ行ってはどうか、

と持ち掛けてきました。

 

 

私と兄だけ。

 

 

持ち掛けてきた、というより、説得しに来た感じでした。

 

それから数日後には手荷物のみもって、

そのおじさんに連れられ、

父のもとへ向かっていました。

 

 

ちなみに、

持たされなかった多くの荷物は、

すべて廃棄する、

と母から告げられました。

 

なので、私は小学五年生以降の写真しか持っていません。

 

 

でも、この日を境に、

親の虐待に怯える日々が終わりを告げました。

 

第三話に続く

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中村華子プロフィール

キャプチャ

はじめまして、中村華子です。
3人の子どもと暮らすシングルマザーです。

親から虐待されて育ち『支配される恐怖』のなかで子ども時代を過ごしました。

アホ女子高校を中退しフリーターしていましたが、

『一生、誰にも支配されない生き方がしたい』と25歳だった2006年に起業し、1年で年収1,000円になりました。
↓2年続けて、本を二冊、出版しました↓


 
女子でも、

学歴も、才能もセンスも、

コネも人脈も、 経験も特技も、

何にもなくても、

依存せず自立できることを、身をもって体験しました。

 

少し昔の私と同じように『今を変えたい!』と思っていたら、
大丈夫です、ぜったいあなたでもできます!と伝えたい。

そのために、私の経験や知っていることを活かして欲しい。 そう思って、ブログを書いています。


もしすこしでも私のことに興味を持たれたら、ためしに読んでみて下さい!

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恋愛、仕事、起業、二度の結婚と離婚、出産、子育てなどなど、隠すことなくいままでのすべてをさらけ出した、私の生い立ちストーリーです。
寝不足になってしまう、と好評です(笑)。

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