第三話 父との生活のはじまりと、自己否定脱出!

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約2年ぶりに会う父は、歓迎してくれました。

 

父といさかいになった兄は、早々に家を出て行きました。

 

ボロボロで

汲み取り式トイレの2Kの長屋でしたが、

 

恐怖を感じない生活は心地よく、

初めて味わう平穏な日々でした。

 

小学五年生の3学期だけはバスと電車を乗り継ぎ、

往復2時間かけて、

もともと通っていた小学校に通いました

 

いままでの環境が劣悪すぎたからか、

長時間登校は全く苦にならず、

週刊少年ジャンプを読みながら楽しんでいました。

 

夢中になりすぎて、よくバスを乗り過ごしました。

 

 

六年生に進級すると同時に、

父の長屋から近くの小学校に、転校しました。

 

転校した先の小学校は住宅団地の真ん中にあり、

誰もが優しく、

仲良くしてくれる子ばかりでした。

 

私はもともと人見知りしないので、すぐに友だちができ、

放課後は一緒に遊ぶようになりました。

 

でも、

私抜きで友だちが遊んでいたり、

ふと一人になった時、

 

 

もしかしたら、私は嫌われているんじゃないか・・・

 

 

と、不安に襲われていました。

 

仲のいい友達と一緒に帰れないと、

一人ひそかに泣きながら下校していました。

 

今まで、いつもの顔色を伺って、怒られないように、と

行動してきました。

 

キゲンを損ねれば殴られるから、自然とキゲンを取るようになります。

 

長いこと教育されたその恐怖感から、

友だちにも、

 

私の大事にしているものをプレゼントしたり、

食べたいお菓子をあげたり、

誇張して話しを盛り上げたり・・・。

 

喜ばれていないと、遊んでもらえない、

という恐怖から、

無意識にゴキゲンを取ってしまうんです。

 

 

自己肯定感が低い状態ですね。

(自己肯定感=ありのままの自分を認めること、自分を大事って思えること、です)

 

 

今にして思えば、親の影響を多大に受ける幼少期に、

親からの虐待という自己否定をされ続けたわけですから、

自己肯定感が低くって当たり前です。

 

そんな環境で育って、

 

私は必要な存在で、価値があるの!

 

なんて言える小学六年生がいたら、むしろミラクルですよね()

 

 

私は、他人の目を気にして、

自信が持てない自分が嫌でした。

 

 

そこで、マンガ好きな私は、

好きなマンガのキャラをお手本に、

『なりたい自分を創造』していました。

 

 

当時は『幽☆遊☆白書』が大好きで、

強くなりたい!と

主人公の浦飯幽助をお手本にしてました。

 

女子なのに()

 

スカートやショートパンツより長ズボンを履いたり、

青や黒の洋服を着たり、

セリフを真似してみたり、

幽助だったらどうするかな?って考えて行動したり。

 

 

小学六年生の女子なのに、

肩で風を切って歩いてみたり(笑)。

 

 

好きなキャラの行動や習慣を真似することで、そのキャラの思考を

自分にインストールしていたんです。

 

セルフイメージの創造ですね。

 

浦飯幽助の強くて堂々としたかっこいいところを、

いつも真似してました。

 

 

欲しいものも、なりたい自分も、

自分で手に入れるもの。

 

 

自己啓発というか、そういう思考があったんですね。

 

子どもの私にとって、マンガはただの娯楽でなく、

私を救うヒントを見つけるための、

 

自己啓発本

 

だったんです。

 

 

友だち関係からいろいろ考えることはあったものの、

生活水準が高い地域での暮らしはなんの問題もなく、

このころには、兄は全く来なくなり、会うこともなくなりました

 

 

そして4か月後、県営団地に引っ越しをしました。

 

 

過疎化がすすむ地域の小学校は1クラスしかなく、

おどろきました。

 

でも、子どもたちの不良ぶりに、

さらに衝撃をうけることになりました。

 

 

授業中にハムや缶詰を食べたり、先生に物を投げてけがさせたり・・・。

 

不良が多い地域でした。

 

 

そこで、はじめてのいじめにあいます

 

 

不良同級生のリーダー格だったデブは、

転校してくる女子をボコボコにして、

泣かすというのが通例だそうで、私も標的にされました。

 

休み時間に突然おなかにパンチされ、

蹴り飛ばされ、

顔も殴られ、

親から虐待されていた恐怖がよみがえってきました。

 

同級生は誰一人止めに入らず、

みんなの視線の中、殴られ続けました。

 

周りの女子は心配そうに、早く泣いちゃいなよ!と次々に助言しました。

 

今まで親の暴力にさらされてきた私は、

暴力をふるうことに、

つよい嫌悪感がありました。

 

 

こんなデブに、屈したくない・・・!

 

 

私は、泣くまい、と必死にこらえました。

 

顔も体も、容赦なく殴られて、全身が痛みました。

 

でも、恐怖で体が動かず、ただただ殴られ続ける。

 

 

デブは泣かない私を面白がって、

早く泣けよとどんどんパンチを強めました。

 

 

があざだらけになったころ、

ついに我慢できずに、涙があふれました。

 

 

それをみて、デブは満足気に大笑いして、

去っていきました。

 

 

私は悔しくて、怖くて、体中が痛くて、

泣き止むことができませんでした。

 

保健室に連れられ、体中を冷やし、早退しました。

 

この時も、

この学校の先生は誰一人デブをとがめず、謝罪すらされませんでした

 

 

いま、こうして書いてみて、

ずいぶん前の出来ことですが、

改めて、このデブほんとうに許し難いと感じます。

 

救えねぇ。

 

そして止めなかったヘタレ男子たち

 

保身する奴らへの嫌悪感は、

このときしっかり形成された気がします。

 

 

帰宅した私の、

アザだらけで泣きはらした顔をみて、

驚き、大激怒しました

 

学校に抗議の電話をし、

デブの親にも謝罪させろ、と大騒ぎになりました

 

 

当たり前ですけどね(笑)。

 

 

結局、学校とデブの親の対応に納得できなかった父は、

学校とデブの家に乗り込み、

私は先生とデブとその親から、謝罪を受けました。

 

私は、父がここまで抗議してくれたことに、感謝しました。

 

母と一緒に暮らしていた時は、

決して母を止めなかった父。

 

母やデブのような、積極的な悪人ではありませんが、

父は、デブを止めないヘタレ男子同様、

消極的な善人であり、

消極的な悪人でした。

 

加害者にまわることもあった父を

恨んでいなかったと言えば、嘘になります。

 

でも、母と離れて、

父は人が変わったように、優しい親になっていました。

 

泣き叫ぶ子どもたちをベルトで殴りつけ、

子どもたちの存在価値を否定した母を、

止めなかった父。

 

 

自らも、

竹刀や平手で、子どもたちを殴りつけた父。

 

 

父は、幼いころの私たちにした、そんな行いを、

詫びることもありました。

 

 

もしかしたら、

もともとは優しかったのかもしれない。

 

でも、母と過ごすうちに、

母に染まってしまったのかもしれない、と思います。

 

 

一緒に過ごす人からは、

知らず知らずに、大きな影響を受けます。

 

誰と一緒にいるかで、人生が決まる、

と言っても過言ではありません。

 

 

短い期間で別人のように変わった父を見て、

人とはすぐ変わるもの、

一緒にすごす人の影響力が大きい、と感じました。

 

 

優しく、子煩悩になっていた父と過ごすことで、

私は少しづつ、

親から受け入れられている、と実感できるようになっていきました。

 

 

ちなみに、そのあとは転生はおらず、

中学入学と同時にデブは不登校となり、

この事件が繰り返されることはありませんでした。

 

でもこの事件は、私

強くなりたい、という願望を、さらに強くしました。

 

暴力に屈しない、という気持ちだけじゃダメなんだ。

 

本当に強くなりたい。

 

そう思った私は、

その後すぐ、近所の空手道場に通い始めました。

 

 

今までの生活に、習いことをする余地なんて、ありませんでした。

 

そんな発想すら皆無でした。

 

習いこととは、

生活に余裕がある子がする、

幸せな普通の家庭に生まれた子だけの特権である、

と思っていました。

 

そんな私が、生まれて初めて経験する、習いことでした。

 

中学入学後に剣道部に入部するまで、

約一年間、

週に二回の稽古を続けました。

 

 

今でも、やはり、強くないとだめだと思っています。

 

力が無いといけない

 

それは、腕力だけでなく、

精神的にも、経済的も、身体的にも。

 

相容れない思想の持ち主が現れたときに、

蹂躙されない備え必要です

 

そうでないと、自分や、大切な人を守れません。

 

 

そんな感じで、転入早々に散々な目にあいますが、

卒業までは平和に、

普通の小学6年生として過ごしました。

 

小学生らしく、

楽しく鬼ごっことかして遊んだ記憶って

たぶんこの時期だけだなぁ。

 

不良は多いけれど、

田舎の伸びやかさを持った子どもも多くって、

のびのび過ごすことができました。

 

 

ちなみに、小学校の卒業式には、

女子でただ一人、

パンツスーツで出席しました。

 

卒業式用の服を買ってくれるという父に、

スカートじゃない服がいい、と選んだんです。

 

女子全員がスカートで出席した中、

あえて一人だけパンツを選んだことに、

 

強くなりたい、

 

という当時の私の思いの強さを、改めて感じました。

 

 

このころ、

父は夜の仕事で出会った中国人かフィリピン人の女の人を、

ある日突然連れ帰り、

家に住まわせはじめました。

 

父は若い女の人が好きでした。

 

普通じゃないのが普通、な生活が長かったため、

私は当たり前のように受け入れていました。

 

笑顔の素敵な、とても美人なひとでした。

 

作ってくれる異国の料理は、

慣れない味だったものの、おいしくて、

よく一緒に食卓を囲みました。

 

 

あんまり言葉が通じないのが難点でしたが()

 

嫌いではなく、むしろ好感を抱いていました。

 

しかし、

うちの電話で、国際電話をガンガンしていたようで、

父と電話を料などのことでもめ、

3ヶ月で出て行ってしまいました。

 

 

小学校を卒業すると、

いかにもヤンキー!な先輩がいる、

典型的な田舎の中学校に進学しました。

 

なにか習うなら、強くなれるもの=武道、という発想で、

入学後、剣道部にはいりました

 

 

そしてすぐに、

女子バレー部の先輩から、かるいイジメを受けるようになりました

 

帰り道に、聞こえるような大声で

『私、調子こいてる1年生でーす』と言われたり、

わざわざ集団で1年生の教室に来て

『チョー目つき悪くない、あいつムカつくよね』と言われたり。

 

しかし、浦飯幽助をお手本にしたセルフイメージのおかげ()

 

まったく気になりませんでした。

 

 

大声で悪口を言われたり、

集団に文句を言われたり、

暴力などの実害が無かったからかもしれませんが、

 

浦飯幽助が先輩女子の陰口を、気にするハズ無いじゃないですか()

 

 

何をされても顔色ひとつ変えない私は、

さぞかしイジメ甲斐のない存在だったと思います()

 

だからか、夏休みころになると、

イジメられることは無くなっていました。

 

そもそも、

イジメられるようなことをした記憶が無いので、

今でも不思議な出来ことですが

 

 

そのころ、

同じ剣道部の1つ年上の先輩に恋をしました。

 

可愛い顔をした、剣道の強い先輩でした。

 

秋ごろに告白しましたが、すでに彼女がいて、振られてしまいました

 

はじめての恋で、

はじめての失恋でした。

 

父から中島みゆきのCDを借りて、

部屋で一人泣いたことを思い出します()

 

 

しかし同級生からはけっこうモテていました

 

同級生からデートに誘われて、

初めてデートを経験したのも、このころでした。

 

デートといっても、お互い子どもで、お金もありません。

 

自転車で待ち合わせて、

近所をぶらぶらして、

暗くなる前には解散という、

 

いかにも中学一年生らしいデートでした()

 

 

父はというと

保育園の同僚の20代後半の保母さんに、

私の家庭教師をさせ始めていました

 

といっても、私は成績が良いほうで、

勉強もせず、

おしゃべりしたりして過ごしました。

 

 

家庭教師というよりも、

父のいない間の保護者だったり、

母のいない私の、母親役をさせたかったのかもしれません。

 

私のお年頃を気にして、

ブラジャーや

生理用パンツを買いに連れ出されたこともありました。

 

前回の外人ホステスさん同様、

彼女とも仲良く過ごしていましたが、

半年ほど経ち、気付くと彼女はやってこなくなりました。

 

あとから、

父は彼女のことが好きだったが、知らない人と結婚してしまった、

と残念そうに言っていました。

 

 

父はやっぱり若い人好きで

 

 

そうして一年生のころは普通に学校に通っていましたが、

中学二年生になると遅刻が増えていきました。

 

第四話に続く

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中村華子プロフィール

キャプチャ

はじめまして、中村華子です。
3人の子どもと暮らすシングルマザーです。

親から虐待されて育ち『支配される恐怖』のなかで子ども時代を過ごしました。

アホ女子高校を中退しフリーターしていましたが、

『一生、誰にも支配されない生き方がしたい』と25歳だった2006年に起業し、1年で年収1,000円になりました。
↓2年続けて、本を二冊、出版しました↓


 
女子でも、

学歴も、才能もセンスも、

コネも人脈も、 経験も特技も、

何にもなくても、

依存せず自立できることを、身をもって体験しました。

 

少し昔の私と同じように『今を変えたい!』と思っていたら、
大丈夫です、ぜったいあなたでもできます!と伝えたい。

そのために、私の経験や知っていることを活かして欲しい。 そう思って、ブログを書いています。


もしすこしでも私のことに興味を持たれたら、ためしに読んでみて下さい!

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恋愛、仕事、起業、二度の結婚と離婚、出産、子育てなどなど、隠すことなくいままでのすべてをさらけ出した、私の生い立ちストーリーです。
寝不足になってしまう、と好評です(笑)。

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