第四話 恐怖の日々、再び

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中学二年生になると遅刻が増えました。

 

グレていたわけではなく、単純に起きられないのです

 

育ち盛りの中学生時代、

よく食べたし、とにかく眠かったんです

 

 

朝も夜も父は仕事で不在だったため、

次第に自分を律することができなくなっていきました。

 

給食の時間に登校することもありました。

 

それどころか、

目が覚めると、すでに夕暮れで、学校が終わっていた、

ということもありました。

 

 

朝焼けか~早く起きすぎた、と思ってテレビをつけて、

夕方と知った時の衝撃といったら。

 

たいそう驚きました。

 

 

そんな他意のない不規則な生活を送っていると、

不良が寄ってくるようです

 

してきたヤンキーを目指す女子と仲良くするうち、

ほんのりぐれ始めてしまいました

 

 

このころから、

父が私の外出に、いやな顔をするようになりました。

 

取っ組み合いのけんかになることもありましたが、

もう幼いころの私ではありません。

 

昔のようにやられっぱなしではなくなっていました。

 

空手や県道で鍛錬したおかげか、

成長と共に腕力がついたからか、

 

父に通院を強いるような手傷を負わせたりして、いい勝負をしていました。

 

 

そんな父への反発もあってか、

夜に父がいないのを良いことに、

 

夜出歩いたり、

友だちを招き入れたり、

家出して学校にも行ったり行かなかったりを繰り返しました。

 

 

知らないおっさんにパンツを売ってお金をもらったり、

泊めてもらったりしたこともありました(非接触です!)。

 

お酒・タバコを覚えたのは、14歳ころでした。

 

非喫煙者の父は 、

私の喫煙に気付くと、

 

何しろ火事が怖いから、家の外で吸ってくれ、

 

と注意を促しました。

 

 

とんでもない父ですね()

 

 

父からのお駄賃やお小遣いで、タバコを買う日々でした。

 

 

見た目は幼くって普通の中学生だったのですが、

遊びに行くときだけはお化粧をして、

ピンヒールを履いて、

大人びた格好をしていました。

 

たぶん、かなり派手にしていたので、

 

街中でAV女優になりませんか?と

誘われたことがあります。

 

やりません、14歳なんです、

と答えたら、

たいそう驚かれました()

 

街中でそんな勧誘があると知り、私も驚きました。

 

ちなみに、出てませんよ()

 

 

父や先生を困らせてはいましたが、

積み木崩し~とまではいかず、

 

学校に行けば普通にそうじしたり勉強したり、

マラソン大会ではいつも10位以内でした。

 

 

そんな中学2年生の冬、

告白された同級生と付き合うことになり、

初めての恋人ができました。

 

とはいえ、

付き合うとはどういうことかよく分からず、

 

たまーに手をつないだり、

たまーに一緒に下校したり、

 

可愛らしい付き合い方をしていました。

 

 

この彼に、私はすっかりご執心になり、

くっついたり離れたりを繰り返しながら、

高校2年生まで付き合いました。

 

 

普通に思いを伝えることができず、

思えば思うほど、離れて行ってしまったように思います

 

思春期あるあるのうまくいかない恋、という理由だけでなく

 

いさかいばかりだった父母や、

性的虐待されていた兄など、

 

男女の良いコミュニケーションの事例を知らなかったことも、

うまくいかなかった理由の一つだと思います。

 

 

今ならもうちょっと上手に付き合えたなぁなんて、

いまでも時々夢を見ることがあります

 

 

無知で純真で無垢な中学生の私と、

年齢に不相応な悪いことに惹かれてしまう私が、

共存していました。

 

 

平穏とはいかないまでも、

それなりに楽しく暮らしていた中学三年生の5月、

1通のはがきが生活を一転させました

 

それは4年前離別した母からのものだった。

 

病気で余命わずかであり、会いたい、との内容でした。

 

瞬間的に、私も会いたい、と思いました。

 

あんなにひどい仕打ちをしてきた母なのに、

はがきをくれて嬉しかったんです

 

 

愛情深い父と暮らすことで、

本当は私を愛していて、優しくしてくれるんじゃないか、

と期待しました。

 

15歳当時の私の心境を思うと、書いてて切ないです(苦)。

 

父には大反対されましたが、4年ぶりに母に会いに行きました。

 

 

一緒に暮らした家はとうに処分し、

立派なマンションに住む母と弟は、苗字が変わっていました。

 

スナックのお客だった公務員のおじさんと、

3年前に再婚したと言っていました。

 

そして、再婚を機にスナックを畳んだそうです

 

久しぶりに会う母は驚くほど穏やかで、

優しく接してくれました。

 

 

熱帯魚の水槽があるきれいな部屋で、

豪華な食事でもてなされ、

お小遣いを渡され、

服やらアクセサリーやらをプレゼントされました。

 

昔、一緒に住んでいた時が、うそのようでした。

 

そして気持ち悪いほどの猫なで声で、

成長した私を誉めまくりました。

 

はがきでは一目会いたいとのことだったのに、

会ったら一緒に暮らしたいと持ち掛けられました。

 

 

私は、母のもてなしに、すっかり餌付けされてしまいました。

 

 

一緒に暮らせば、母に優しくしてもらえる。

 

こんな豪華な暮らしができる。

 

 

父は毎食きちんと食事を作ってくれて、

安定した生活を与えてくれていました。

 

必要なものは何でも買ってくれて、

愛情をもって接してくれていました。

 

でも私は、

父との団地暮らしにはない派手さに、魅了されてしまっていました。

 

 

帰宅して、父に、

母と暮らしたい、母は病気らしい、

と伝えました。

 

父を一人にすることに、

罪悪感と後ろめたさがありまし

 

父は、

またひどい目に合うよ。

華子はバカだなぁ。

と呆れた顔で言っていましたが、

 

私の意思ならば、と承諾してくれました。

 

 

すぐに、私は母と生活することになりました。

 

 

学校の先生は、

遅刻や欠席がちで不規則な私の生活が正されるかもしれない、

と祝福してくれました。

 

 

母と暮らし始めて、すぐに高校受験が始まりました。

 

中学三年生の7月でした。

 

でも、私の内申書は、ひどいものでした。

遅刻と欠席だらけで、つねにタバコを持ち歩くような生徒です。

 

 

私の内申書が最悪と知った母は、

私を代々木ゼミナールの夏期講習に通わせました。

 

 

今振り返っても、相当な羽振りの良さです

 

 

それだけ聞けば教育熱心な母親ですが、

実際には私にタバコをすすめたり、

15歳の私を連れてパチンコに行ったり。

 

ビースモーカーの母は、

同居してすぐ私専用のマイ灰皿をました。

 

つまり、真面目な人ではないんです

 

 

今にして思えば、

公務員である再婚相手やその親戚など

世間体のため私の進学にお金を使ったようでした

 

私は、そんなことは少しも考えず、猛勉強しました。

 

はじめて通う大きな塾や、

やればやるほど点数が上がる勉強が、

単純に楽しかったからです。

 

高校に行きたい理由も、

行きたい高校もなかったけれど、

流されるように、高校受験をしました。

 

そして公立の一般入試を待たずに、

マンションの真横にあった、高校への入学を決めました。

 

入試の成績で上位20位以内だったそうで、

特待生入学できることになったからです。

 

その高校は、

誰でも入れる、名前さえ書けば受かる、と、

地元では有名なアホ私立女子高でした。

 

私が受験した年、そのアホ私立女子高は、

学校を立て直すための特待生クラスを創設していました。

 

内申書が悪くて、高校進学すら怪しまれた私でしたが、

思いもがけず、

半額以上の学費を優遇される学業特待生の一期生として、

入学することになりました。

 

 

アホ私立女子高を立て直すための特待生クラスは、

青春を根こそぎ奪うような

ハードスケジュールでした。

 

主要三科目は予備校の講師が担当し、

毎日の授業は18時ころまで。

 

なんと夏休みは2週間のみ!

 

灼熱の太陽がじりじりと肌を焦がす中、

誰もいない学校に行って、

授業・授業・授業・・・。

 

学校が休みの土曜日も、

特待生クラスだけは授業でした。

 

日曜日ですら、

予備校の模試受験のため休めないこともありました。

 

 

学業にのみ専念するべく、

バイトはもちろん、クラブ活動も原則禁止。

 

高校一年からセンター試験の過去問を解き、

修学旅行は無し。

 

特待生クラスのほかに、

普通科、家政科、商業化がありましたが、

他学科と違う建物に教室がありました。

 

偏差値の低い他学科の生徒との交流を、

遮断するためだろうと思われます。

 

 

ちなみに、受験当時40前後といわれていた偏差値が、

20年たった今では60以上になって、

進学校の仲間入りをしたそうです。

 

早い段階での戦略変更は大成功だったわけで、

具体的戦術も見習うべき点が多いと感じます。

 

生徒だった時の評価や是非は別として

 

 

そんなこんなで、

ハードな勉強生活に不満はあったものの、

平穏な高校生活を送っていました。

 

 

が、母はこのころから次第に支配的に、

幼少期を彷彿とさせる言動が多くなっていました。

 

常にお酒を飲み、

泥酔して救急車に運ばれることもありました。

 

 

同居したばかりの時は良く買ってくれた洋服も

買ってもらえなくなり、

いつのまにかお小遣いももらえなくなっていました。

 

 

だから、

昼食代としてもらっていた500円を

お昼抜きにしたり、

 

自宅から持参したリンゴ一個をお昼ご飯にしたりして、

お金を貯めていました。

 

そのお金で、友だちとファーストフードに行ったり、

ファミレスに行ったりして、

遊んでいました。

 

 

でもそれが母に知られると、

500円支給制度は廃止されてしまいました。

 

母に使っていい食材を確認したうえで、

毎日弁当を自炊する、という新ルールが制定されました。

 

 

このルールを言い渡されたときは、

衝撃でした。

 

もはやこの家には自由は無い、と。

 

 

親からお小遣いをもらえないため、

欲しいもの万引きするようになりました。

 

 

校則で、アルバイトしたら退学処分と、決まっています。

 

だからか、

当時、私の通うアホ私立女子高では

援助交際という名の売春が、はやっていました。

 

違うクラスの友だちの多くが、売春していました。

 

みんな、アルバイトのような感覚で売春していました。

 

 

そんなことでお金が稼げるの。

 

 

もともと、自分の体を大事に、なんて価値観が無かった私は、

環境の悪さも手伝い、売春するようになりました。

 

 

アホな女子高生を買いたい大人は、たくさんいました。

 

 

私は、一回の売春で3万円程度をもらっていました。

 

 

でも、母の支配は、お金にとどまりませんでした。

 

 

友だちと話し込んで帰宅が遅くなると、

放課後の交友関係をやめるようにと言われました。

 

家から歩いて3分の学校だったので、

遅くとも授業終了後10分以内に帰ってきなさいと。

 

それらは提案ではなく、命令でした。

 

 

休みの日でも門限は18時。

 

1分でも遅れると正座させられて

2時間説教されたり、ベルトで叩かれたりしました。

 

泣きながら土下座しても、

一緒に遊んでいた友だちの家に電話され、

親御さんに抗議し罵られたりもされました。

 

母より体が大きくなった私が

武力行使で反撃に出ようとすると、

母を守るべく再婚相手の旦那さんが私を殴りました。

 

私よりは少ない頻度ではあるが、

母は2歳下の弟に暴力を振るうこともありました。

 

弟が私の部屋で過ごだけで、

発狂したように怒りまくりました。

 

弟を靴ベラなどで叩くこともありました。

 

私が弟に覆いかぶさって守ると、

その勢いはヒートアップしました。

 

 

母は、もはや狂人でした。

 

 

そのころ父のもとへ戻るという選択肢は思い浮かばず、

幼少期と同じように、

ただ怯え、ただ耐える日々が続きました。

 

幼少期と違っていたのは、

そこに『母の目を盗む』という選択肢が追加されたことです

 

恋人と会う時間も、

友だちと遊ぶ時間も与えられなかった私は、

深夜に窓から抜け出したり、

ジョギングに行くと言って、自転車を飛ばすようになりました。

 

埼玉の大宮市から、桶川市まで、約15キロ。

 

自転車で片道1時間以上かけて、

恋人の家まで行ったこともありました。

 

ほんの短い時間ですが、自由になる時間を求めて、こぎ続けました。

 

第五話に続く

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高校中退アホ女子が起業して年収1000万を得たストーリー

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中村華子プロフィール

キャプチャ

はじめまして、中村華子です。
3人の子どもと暮らすシングルマザーです。

親から虐待されて育ち『支配される恐怖』のなかで子ども時代を過ごしました。

アホ女子高校を中退しフリーターしていましたが、

『一生、誰にも支配されない生き方がしたい』と25歳だった2006年に起業し、1年で年収1,000円になりました。
↓2年続けて、本を二冊、出版しました↓


 
女子でも、

学歴も、才能もセンスも、

コネも人脈も、 経験も特技も、

何にもなくても、

依存せず自立できることを、身をもって体験しました。

 

少し昔の私と同じように『今を変えたい!』と思っていたら、
大丈夫です、ぜったいあなたでもできます!と伝えたい。

そのために、私の経験や知っていることを活かして欲しい。 そう思って、ブログを書いています。


もしすこしでも私のことに興味を持たれたら、ためしに読んでみて下さい!

アホ女子高校を中退したフリーターが、起業して年収 1000 万を得るまでレポート

 

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(左の画像をクリックすると、ストーリーが読めます)

恋愛、仕事、起業、二度の結婚と離婚、出産、子育てなどなど、隠すことなくいままでのすべてをさらけ出した、私の生い立ちストーリーです。
寝不足になってしまう、と好評です(笑)。

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