第五話 母との生活の終わりと、20歳での結婚

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高校一年の2月頃、大事件が起こりました。

 

母たちが寝静まったのを見計らって窓から出かけたある夜、

深夜に家に戻ると

母が憤慨して私を待っていました。

 

なんと不運にも、私が出かけた後に目を覚まし、

の部屋をのぞいてしまったのです

 

すぐさま正座させられ、

尋問され、

学校も休ませられ、

の状態は15時以上続きました

 

足は、誰のものか分からないくらい感覚がなくなり、

意識はもうろうとしていました。

 

 

そして、新たなルールが提示されました。

 

母の提示した新ルールは、

私に高校を退学させ、

家から一歩も出さずに、

家事のみをさせる、というものでした。

 

もうろうとした意識が一気に覚醒し、

衝撃を超えて、

戦慄しました。

 

 

これは冗談なんかじゃない。

一生支配されてしまう。

 

 

逃げなければ

 

 

そういました。

 

 

弟が下校してきた瞬間、

私は母を突き飛ばして、玄関まで走りました。

 

そして、上着も羽織らず、はだしで逃げ出しました。

 

一番近くにある友だちの家まで、無我夢中で走りました。

 

歩いて78分の距離なのに、

永遠に続くんじゃないかと思うほど、遠く感じられました。

 

 

友だちの家に着くと、泣きながらわけを説明し、

その日はひとまずかくまって貰うことになりました。

 

次の日の、友だちが高校に行くと、

私は歩いて1時間ほどの、父の住む団地へ向かいました。

 

 

父は私の話を聞き、受け入れてくれました。

 

とはいえ、身一つで逃げ出してきています。

 

制服もありません。

 

制服が無いと高校にも行けないため、

友だちに付き添ってもらって母のマンションを訪れ、

制服がほしいと訴えまし

 

が、母は逆切れするばかりで

私の荷物一切を渡そうとしませんでした。

 

 

そのうえ、私の通う高校に、娘は退学すると連絡していました。

 

 

驚いた先生が友だちづたいに連絡をくれて、

先生二人と一緒に母の家を訪問しました。

 

学校に通うのは子どもの権利であり、通わせるのは親の義務です、

お母さんの行為は親権乱用です、

お母さんの退学申し入れは受理できません、

 

先生たちはそう熱弁をふるってくれました。

 

でも響きませんでした。

 

それどころか

 

ひとんのことに口を挟まないでほしい、

おたくたちの話は聞いていない、

親権乱用?ふざけるな、養ってやってるんだから当然の権利だ、

 

などとまくしたてて、

何一つ渡してもらえませんでした。

 

母の形相や対応に驚く先生たちと、

追い出されるようにして、母のマンションを後にしました。

 

 

その顛末を聞いた父は、

 

小さい頃散々嫌な思いしたのに~

いった通りじゃない~と言いつつも、

 

制服や学用品一式をすべてを、買いなおしてくれました。

 

 

そうして、2年ほどの、母との生活が終わりました。

 

 

ちなみにその間、

母は一回も死にそうになんてならず、

むしろ元気すぎるほどでした。

 

母と同居した一年半は、

無意識の奥底に封印してきた

両親から虐待されていた幼ないころ経験を、繰り返すような日々でした。

 

そして、『支配される恐怖』を再認識させられるでした。

 

父との団地生活が再開し、

何もなかったかのように高校生活がはじまり、二年生に進級しました。

 

 

父だけでなく、

小中学校をともに過ごした悪友たちも、

団地に戻った私を歓迎してくれたました

 

そのころには、近所に住む悪友たちは、次々と高校を中退し始めていました。

 

高校に進学しなかった友だちもいました。

 

家庭生活は穏やかになり、

万引きや売春することはなくなったものの

そんな悪友たちと過ごす時間が、日に日に増えてきました。

 

何しろ歩いて数分に住む友だちばかりです。

 

登校前にうちにタバコを吸いに来た友だちと、

そのまま学校を休んでしまう日が増えていきました。

 

夜も友だちと遊びまわったり、うちで酒盛りをしたり。

 

あんなに辞めたくない!と騒いで、

学用品一式買い揃えてもらったというのに、

 

ほんの半年ほどで、

勉強一色で真面目なクラスメートばかりの高校に、

だんだん行きたくなくなってしまいました。

 

地元で遊んでいるほうが、楽しくなってしまったんです。

 

そのうち、学校どころか家にも帰らなくなり、

近所の友だちの家に居候するようになりました。

 

そして、働いている多くの友だちと過ごすうちに、

 

勉強するよりも働きたい、一日も早く。

 

そう思うようになってしまいました。

 

 

父に何度も説得され、父の友人にも説得され、

それでも頑として、

中退して働きたい、という意思を曲げませんでした。

 

そして高校二年生の冬、

卒業までわずか一年を残して、高校を中退をしました。

 

 

中退したのち、

すぐに近所のガソリンスタンドでアルバイトを始めました。

 

ほとんど家に帰らず、

友だちの家に入り浸ってはいたものの、

初めての労働は楽しくて楽しくて、しょうがありませんでした。

 

ベンツも軽トラも知らなかったし、

軽油とガソリンの違いも分からなかったから、

軽トラに軽油を入れてしまう失敗を何度もしました。

 

(軽自動車の燃料はガソリンで、軽油を入れるとエンジンが壊れることがあります汗)

 

でも知らないことすべてが興味深くて、

失敗も含めて、仕事が楽しかったんです。

 

ラジエーターって何?

水抜き材って何?

なんて言えば売れるの?

 

と社員に聞きまくり、熱心に勉強し、愚直に実践しました。

 

接客することやセールスすることに抵抗が無かったので、

整備やアクセサリーがガンガン売れました。

 

(当時ガソリンスタンドは、燃料以外の整備やアクセサリー販売で

大きな利益を上げていました。

給油スタッフ全員が営業マンだったんです。)

 

 

汚れることにも抵抗が無く、

どんな仕事も覚えたい一心で、自動車整備もやりました。

 

車の下にもぐってエンジンオイルを替えたり、タイヤを交換したり。

 

エンジンオイルを交換する作業の時に、

手元が狂って真っ黒の廃油を、頭から浴びたことがありました。

 

うわ~やっちゃった!って、みんなで大笑い()

 

ニコニコしながら給湯室で髪を洗って、

しばらくチャーミーグリーンの香りをさせていました。

 

本当に仕事を楽しんでいました。

 

これは私のはじめての

小さな成功体験です。

 

 

知識を増やす、すぐ実践する

など正しい方向に努力できたことで、

売上が上がる。

 

それをまわりから評価されることで、

ますます仕事が楽しくなるという、好循環でした。

 

また、

はじめての仕事で良い循環ができたことで、

仕事=楽しい、という認識になりました。

 


私の仕事に対する基本姿勢は、

ここで作られたような気がします。

 


目の前の仕事に、全力投球する。
だから、楽しくなる。

仕事は、

楽しく自分を成長させるためのものだと思っています。

 

 

父は、

家出し、同じ団地内で居候する私の存在が恥ずかしい、と、

4駅ほど離れた春日部にマンションを借りて、

越すことになりました。

 

そして、

いつ来てもいいからね、

華子の部屋も用意してるからね、と言ってくれました。

 

いま思うと、

悪友たちに囲まれた環境を改善したい一心で、

引っ越してくれたのかもしれません。

 

親の心、子知らずとは、よく言ったものです

 

当時はそんなことは少しも思いませんでした

 

ですが、

居候先の友人とケンカしたことをきっかけに、

父の越したマンションに住むことになりました。

 

引っ越してしばらくは、

自転車で片道一時間強の距離を通勤していましたが、

車の免許を取るための時間をつくるため、

近所のガソリンスタンドに転職しました。

 

 

そこで、一回目の結婚相手と巡り合います。

 

 

同い年の学生バイトくんでした。

 

半年ほど一緒に働くうちに仲良くなり、

付き合うようになりました。

 

彼は高校卒業後、

都内の専門学校に、

新聞配達の奨学生として入学することが決まっていました。

 

彼の卒業と引っ越しを目前に控えた春、

私は妊娠していることが分かりました。

 

妊娠二か月でした。

 

私は、幼いころの支配されていた記憶から、

経済的に自立していたい、

結婚しても養われたくないと思っていました。

 

だから、

自立するまで子どもを産みたくない、

中絶するしかない、

と、漠然と思っていました。

 

彼はテレビか何かの影響で、

一緒に育てよう!と息巻いていましたが、

両親に相談し大反対され、

あっという間に意気消沈し、中絶することになりました。

 

友だちが、都内にある

中絶手術の評判がいいという病院を探してくれました。

 

2週間後、朝早くに、友だちと彼に付き添われて、

その病院に向かいました。

 

彼はずっと付き添ってくれて、

中絶費用を全額出してくれました。

 

私はすでにつわりが始まっていて、

常に気持ちが悪く、

頭がぼーっとしていました。

 

だからか、

空気が冷たい朝のひかり、

通勤ラッシュのざわつきなど、

雰囲気しか覚えていません。

 

手術は、おどろくほどあっという間に終わって、

目が覚めた時には

日が陰りはじめていました。

 

もう二度と中絶しないと心に誓いました。

 

けれど、たくさん労わってもらえたおかげで、

心が傷つくことはありませんでした。

 

そして大田区と春日部での、彼との中距離恋愛は二年間続きました。

 

妊娠をきっかけにガソリンスタンドは辞めていました。

 

中絶手術後、2週間ほど休んでからは、

 

ティッシュ配り、

試食販売、

ビルの窓ふき、

吉野家スタッフ、

バイクの整備など、

 

興味がある仕事を次々と経験しました。

 

 

彼は専門学校を卒業すると同時に、

新聞配達の寮を出ることになっていました。

 

私たちは、

彼が寮を出たら、春日部で一緒に暮らそうと決めていました。

 

その話題になったある日、

一緒に住むなら結婚しようよ、という私の言葉がプロポーズとなって、

20歳で初めての結婚をしました。

 

同居に先駆けて、2月生まれの彼の誕生日に入籍しました。

 

私は新生活に向けての資金作りのため、

高給与のパチンコ屋で正社員勤務をしていました。

 

長時間勤務で力仕事で立ちっぱなし、

そのうえ人間関係がややこしい職場でした。

 

1年近く勤務し、

結婚資金を貯めたあと、

彼との生活がスタートして間もなく、退職しました。

 

そんなある日、

本屋さんで何気なく手にした一冊の本が、

私の人生を大きく左右することになりました。

 

第六話に続く

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中村華子プロフィール

キャプチャ

はじめまして、中村華子です。
3人の子どもと暮らすシングルマザーです。

親から虐待されて育ち『支配される恐怖』のなかで子ども時代を過ごしました。

アホ女子高校を中退しフリーターしていましたが、

『一生、誰にも支配されない生き方がしたい』と25歳だった2006年に起業し、1年で年収1,000円になりました。
↓2年続けて、本を二冊、出版しました↓


 
女子でも、

学歴も、才能もセンスも、

コネも人脈も、 経験も特技も、

何にもなくても、

依存せず自立できることを、身をもって体験しました。

 

少し昔の私と同じように『今を変えたい!』と思っていたら、
大丈夫です、ぜったいあなたでもできます!と伝えたい。

そのために、私の経験や知っていることを活かして欲しい。 そう思って、ブログを書いています。


もしすこしでも私のことに興味を持たれたら、ためしに読んでみて下さい!

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もし長い文章でも良ければ、こちらも読んでいただけると嬉しいです。
(左の画像をクリックすると、ストーリーが読めます)

恋愛、仕事、起業、二度の結婚と離婚、出産、子育てなどなど、隠すことなくいままでのすべてをさらけ出した、私の生い立ちストーリーです。
寝不足になってしまう、と好評です(笑)。

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