第九話 ライブハウス経営の売上倍増と、大失恋

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父のライブハウスは開業して4年経ち、

少しづつ常連客がつきはじめていました。

 

客席は10席ほど、

どんなに詰め込んでも20人ははいらない、

小ぢんまりした店でした。

 

でも、

アップライトのピアノと、

ドラムセットがあり、

毎週末には様々なバンドが、ライブをしに来ました。

 

アマチュアのジャズバンド、

CDリリースしたトリオ、

父の昔なじみのプロバンドに、

夫婦のデュオ。

 

人気のバンドのライブの時には、

立ち見になって、

冬でも暑いほどの熱気でした。

 

父は大学生のころから

キャバレーやクラブでピアノを弾き、

プロのピアニストとして、

収入を得ていました。

 

木の実ナナや、

榊原郁恵など、

有名人の伴奏経験も多いらしく、

30年以上のキャリアがありました。

 

 

娘の私はというと、

音楽の知識は一切なく、

小学生で習うソプラノリコーダーすら吹けません。

 

ですからお店では、

音楽について一切口出しませんでした。

 

知ったふりをして話す人を見るたび、

恥ずかしい気持ちになっていたからです。

 

でも、

多くのお客さんは、

自分の知識や聞いて欲しがったり、

経験を誉めてほしがっていました。

 

私は

自分の無知を逆手に取り、

お客さんに音楽を教えてもらう、

という姿勢を

崩しませんでした。

 

お客さんのリクエストに応えてお酒を探したり、

もともとお酒好きですから、

お酒の種類を増やしたりもしました。

 

また、

開店前は30分以上そうじをして、

いつも清潔な店であるよう努めました。

 

2週間に一回は近所にチラシを配り、

 

手作り感あふれるデザインではあるものの、

ホームページも作成し、

 

新しいライブスケジュールなど、

情報の発信にも力を入れました。

 

そもそも。

 

居酒屋程度の、

あるいはもっと安い金額で、

24歳の女の子(当時の私)とお酒が飲めるんです。

 

もともと

ジャズやライブや音楽が好きで来ていたお客さんが、

今までの倍以上の頻度で、

来店するようになりました。

 

飲食店でアルバイトしたこともなかったため、

たくさん失敗もしました。

 

予想外のお客さんの多さに氷が足らず、

お客さんに買いに行ってもらうこともありました。

 

飲み過ぎて営業中に吐いたことも、

泥酔して早じまいすることも

ありました(笑)。

 

でも、

客席が少なく、

メニューはお酒と簡単なおつまみだけだったので、

大きな問題もなく、

 

3ヶ月ほどすると、

父の倍ほどの売り上げを上げられるようになりました。

 

 

そのころ、

静養していた父は次第に元気になり、

左手のマヒもすっかり無くなっていました。

 

退院してしばらくは、

働きづめだった数年の疲れをいやすべく、

のんびり過ごしていた父ですが、

退院して3ヶ月経ったころから、

元気を持て余すようになりました。

 

そして退院して4か月が経った頃、

少しづつ、

ライブハウスに復帰し始めました。

 

私と父が、一緒にお店に入ると、

考えかたや、

やりかたの違いから、

たびたびケンカするようになりました

 

そのため、

父が退院して半年後、

ライブハウスの手伝いを退くことにしました。

 

 

私はここで、起業しませんでした。

 

 

ライブハウスで出会った

ジャズのギタリストと付き合うようになり、

プロを目指す彼のサポートがしたい、と

また就職活動をはじめます。

 

 

自分が独立起業したいと思う心より、

彼を応援したい気持ちが勝っていました。

 

アマチュアのミュージシャンは、

お金も、

時間もありません。

 

彼も例外ではなく、

アパートの家賃も滞納気味なほどでした。

 

 

私は、

友人の先輩がおこした、

賃貸住宅専門の不動産会社に入社しました。

 

彼は私の借りるマンションに越してきて、

アルバイトとライブに精を出す日々。

 

私は、毎朝、出勤前に、

朝ごはんと彼のお弁当を作りました。

 

定時で帰社して、

夕ご飯を作ったり、洗濯したり、

彼が遠方でライブの日には、車で送迎しました。

 

前職同様、

不動産営業として勤めていますが、

いまは将来のための修行ではありません。

 

ただ、

お金を稼ぐためだけに行う、

まさにライスワークです。

 

仕事を通して得る、

学びも、

苦労も、

感動もありません。

 

その時の仕事は、

私にとって、

ガソリンスタンドのアルバイト以上の価値は

ありませんでした。

 

仕事中に思うことは、

美味しいと言ってもらえそうな食事の献立についてと、

早く帰ることだけ。

 

辛い仕事ではないけれど、

決して楽しい仕事でもありませんでした。

 

そんな思いで働いているうち、

通勤することが苦痛になっていきました。

 

もっと彼のために、家事に専念したい。

 

そんな思いが次第に強くなり、

少しだけど貯えもあるしと、

退職することにしました。

 

上司にその気持ちを伝えると、

すぐ失業保険が受け取れるからと、

解雇をすすめられました。

 

私はありがたく申し出を受け、

解雇退職させていただきました。

 

そして退職後すぐに、

失業保険手続きのため、ハローワークに訪れました。

 

そこで、簿記や、

ホームヘルパーなど、

いろいろな資格や技能が学べる

職業訓練校の存在を知りました。

 

失業中の過ごし方は転職活動だけ

と思っていた私は、

驚きました。

 

好奇心から職業訓練校について聞いていると、

年配の職員から、

『あなたは就職より起業の方が向いている』

と、

起業家養成講座の受講をすすめられました。

 

起業者を増やそう

という政策の一環で、

職業訓練校に導入されたばかりの講座でした。

 

再就職する気が無かった私は、
すすめられるまま、

考えなしに3ヶ月の起業家養成科の受講を決めました。

 

30人ほどのクラスメイトは、

私を含む3人の20代から、

定年退職の60代まで、

実に幅広い年齢層が集っていました。

 

鉄道オタクの店を開店したい人、

保険代理店を営む経営者の妻、

法人化したい出版編集者、

呉服屋の二代目など

 

経歴や目標も様々な、個性的なメンバーでした。

 

経営コンサルタントや、

中小企業診断士、税理士などが

講師としてやってきて、

 

SWOT分析や、

商圏分析、

PDCAサイクル、

USP発掘など、

マーケティングや市場調査、

ビジネスモデル立案、

帳簿や収支計算など経理など、

 

かなりの多岐にわたる

起業と経営についての教科書的要素を、

丁寧にレクチャーしてくれる講座でした。

 

 

教室で学んでいるときには、

本当に私が起業するとは、

しかもクラスメイトに助けられるとは、

思いもしませんでした。

 

起業する意思なんてないものの、

もともと興味があった内容ばかりですから、

楽しく通うようになりました。

 

そして、ますます家事に精を出しました。

 

彼と過ごす、

主婦のような生活が、半年続きました。

 

この時私は、

自分が家事が好きなんだ、と知りました。

 

もともとお料理は好きでしたし、

そうじや洗濯を嫌いと思ったことはありません。

 

でも、

誰かのために家事をしたことはありませんでした。

 

以前の結婚のときは、

宅建試験の勉強や、

不動産営業の業務が忙しく、

まともに家事をしていませんでした。

 

美味しくって、

元気になるようなお料理を。

 

帰ってきたいと思えるような、

気持ちのいい家に。

 

お洋服がいつでもきれいで整理されてると、

嬉しいよね。

 

お休みの日は布団を干して、

フカフカの布団で眠ってほしい。

 

そんな風に思うと、

家事は尽きることなくあって、

好きな人のためにする家事は楽しく、幸せでした。

 

 

私が、

一生を誰かのために生きられるなら、

そのまま結婚して、

専業主婦になっていたかもしれません。

 

でも、そうではなかったようです。

 

 

支配されないために自立したい、

そのために起業しよう、

その思いや費やした時間が、

長過ぎたのかもしれません。

 

しばらくは楽しかった『彼のための日々』ですが、

どんどん苦しくなってきました。

 

 

彼は、

毎日の地道な練習とライブ、そして素直な性格の賜物か、

少しづつ人脈を広げ、

評価を得て、

活躍の舞台が広がっていました。

 

そんな彼と比べて、

私は自分が空っぽのような気がして、

素直に彼を応援できていない自分に気づきました。

 

 

彼のためのことや応援ばかりで、

私のためのことや起業はできないと

思い込んでいました。

 

両立するという発想が浮かばず、

勝手に自己犠牲して、

知らずに自分を追い込んでいました。

 

気持ちがトゲトゲして、

彼に優しくできないことが続きました。

 

私は、どうしたいんだろう・・・

どうしたらいいのか分からず、

涙がぽろぽろこぼれてきました。

 

彼がライブでいない夜、

ベランダで一人、

月を見上げて泣き続けました。

 

彼のことが好きなのに・・・

 

冷たく当たってしまう自分を自己嫌悪する日々が

続きました。

 

そして

起業家養成科の講座に通い始めて2か月が経ち、

私は講座を修了していました。

 

だからといって

起業する意欲もなく、

もんもんと過ごす日々。

 

そんなある日、

ミュージシャン仲間との練習で帰りが遅くなった彼に、

私の苦しさをぶつけてしまいました。

 

用意していたご飯は、すっかり冷たくなっていました。

 

私のことなんて忘れてたんでしょ!

 

泣きながら、私はごはんを流しに捨てました。

 

もう、辛くって、辛くって、

どうしたらいいのか分からないの・・・

 

私が泣きながらそう言うと、

彼はとても優しい口調で、こう言いました。

 

辛い気持ちにさせてごめんね。

俺も、ずっと辛かった。

・・・もう、別れよう。

 

私は自分の過ちに気付き、

声を上げて泣きました。

 

子どものように、わんわん泣きました。

 

でも、彼は、出て行ってしまいました。

 

 

第十話に続く

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中村華子プロフィール

キャプチャ

はじめまして、中村華子です。
3人の子どもと暮らすシングルマザーです。

親から虐待されて育ち『支配される恐怖』のなかで子ども時代を過ごしました。

アホ女子高校を中退しフリーターしていましたが、

『一生、誰にも支配されない生き方がしたい』と25歳だった2006年に起業し、1年で年収1,000円になりました。
↓2年続けて、本を二冊、出版しました↓


 
女子でも、

学歴も、才能もセンスも、

コネも人脈も、 経験も特技も、

何にもなくても、

依存せず自立できることを、身をもって体験しました。

 

少し昔の私と同じように『今を変えたい!』と思っていたら、
大丈夫です、ぜったいあなたでもできます!と伝えたい。

そのために、私の経験や知っていることを活かして欲しい。 そう思って、ブログを書いています。


もしすこしでも私のことに興味を持たれたら、ためしに読んでみて下さい!

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もし長い文章でも良ければ、こちらも読んでいただけると嬉しいです。
(左の画像をクリックすると、ストーリーが読めます)

恋愛、仕事、起業、二度の結婚と離婚、出産、子育てなどなど、隠すことなくいままでのすべてをさらけ出した、私の生い立ちストーリーです。
寝不足になってしまう、と好評です(笑)。

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