第13話 成約率10%の飛び込み営業と、再婚、出産、そして死の淵

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翌週、現場の合間をぬって、

自宅から近い不動産会社に

飛び込み営業することにしました。

 

作業着からスーツに着替え、

名刺と価格表をもって、

『こんにちは~!』

と、不動産会社を歩いて訪問しました。

 

時間にして3~4時間でしょうか。

 

30件ほどの不動産会社を訪ねた結果、

3件の会社から受注することができました。

 

なんと20%の確率で

 

墨田区での顧客開拓に、

大きな手ごたえを感じました。

 

 

そのころ、

同居するおばあちゃん、すみえさんとの生活は、

困ったことになっていました。

 

私が仕事に行くのを、嫌がるのです。

 

足腰がすっかり弱ったすみえさんは、

病気は無く、

検査の値も正常なのですが、

すっかり病人ハートになってしまっていました。

 

何回か、

現場で作業している最中に呼び戻され、

作業を中断して、

すみえさんのもとへ帰りました。

 

すみえさんが落ち着くと、

また現場に戻ります。

 

遠い現場だと、片道1時間以上かかりました。

 

私が電話に気付かないと、

不安がり、

救急車を呼んでしまうこともありました。

 

そんな時は病院から連絡が来て、

やはり現場作業を中断して、

急いで迎えに行きました。

 

やっと現場作業を終えて、

夜遅くに帰宅してから、

毎晩、翌朝の食事を準備していました。

 

受注が増え、現場作業が増えるにつれ、

私の朝は早くなっていましたが、

すみえさんは朝食の時間を早めるのを嫌がったからです。

 

 

そんなことが続き、

すみえさんとの生活を続けるのは、

難しいと感じるようになっていきました。

 

 

悩んだ末に、

すみえさんと血縁関係にある友だちに相談し、

親せきにも来てもらい、

会議をすることになりました。

 

私一人では、

すみえさんの対応がしきれないこと、

すでに仕事ができない状況にあること、

すみえさんの不安は日に日に増していること、

 

などを伝え、

みんなで負担を分担できないか、相談しました。

 

83歳になっていたすみえさんの親せきは、

おなじく高齢者ばかり。

 

すみえさんの世話をすることに、

だれも首を縦に振りません。

 

しかも、すみえさんの希望は、

24時間の対応でした。

 

数時間に及ぶ話し合いの結果、

すみえさんは

老人ホーム的施設に入所することになりました。

 

わずか3ヶ月ほどでしたが、

すみえさんとの

不思議な同居生活が終わりました。

 

 

それを節目に、

猛烈に忙しい年末が始まりました。

 

営業の成果か、受注が激増していました。

 

あまりに忙しい毎日です。

 

起業当初にアルバイトしていた

ハウスクリーニング会社の先輩に、

連日アルバイトを頼むようになりました。

 

3歳上の先輩で、

人柄の良い、

清掃の経験豊富なベテランでした。

 

アルバイトに来てもらう頻度が高くなり、

次第に仲良くなりました。

 

信頼できる真面目な仕事ぶり、

そのうえ気が合い、

移動中の車の中では、毎日大爆笑です。

 

年が明けてすぐ

正社員として入社して欲しいとつたえました。

 

もちろん、

と快諾してくれて

起業して10か月目の2007年2月、

はじめての正社員が誕生しました。

 

昼間は一緒に清掃現場を回り、

夜は一緒に飲み明かし、

日が昇るとまた共に現場へ・・・。

 

ほぼ毎日そうしていれば、

好意を抱くのも当然かもしれません。

 

数か月後には交際が始まりました。

 

私生活の充実を反映するように、

会社の業績も、少しづつ伸びていました。

 

墨田区の不動産会社を対象にした

飛び込み営業で成果を出した私は、

さらなる成果を出すべく、

DMに挑戦することにしました。

セールスレターを

書いては直し、書いては直し。

原稿を完成させるだけでも、1週間を要しました。

また、

いかにもセールス感あふれるDMでは、読んでもらえない。

と思い、

普通の封筒に、

手書きで宛名を書くことにしました。

事務パートさんと分担して、

3日がかりで

やっと宛名を書きあげることができました。

万感の思いを込めて、

墨田区中の不動産会社、

約300社に向けて、DMを発送しました。

結果は、

送付した300件中、15件ものお客さんから

受注することができました。

成約率にして5%、超絶な成果を収めることに成功しました。

そうして迎えた起業して約一年後、

法人化することにしました。

 

法人化するにはお金もかかるし、

法人化するメリットもよく分からず、

なんとなく躊躇していました。

 

そんな私の背中を押したのは、会話の中の一言でした。

 

その一言とは、先輩経営者の、

 

『永久に存続し続けるのが、法人の目的なんだよ。』

 

という言葉です。

 

 

永久に会社を存続させたい!

法人化しよう!

 

言葉がおなかにストンと落ちて、

自然とそう決めました。

 

腑に落ちるって、こういう感覚なんだと思います。

 

とはいえ、

法人化したからと言っても何も変わらず、

毎日、営業に奔走しました。

 

その年の冬、

はじめて正社員と、

入社約1年後の冬に、結婚することになりました。

 

また、私からプロポーズです(笑)。

 

起業したばかり会社は

好不調の波が激しい状況で、

過酷な仕事が続くこともあります。

 

でも、

そうしたことに左右されずに、

いつも穏やかで誠実な人柄にほれ込みました。

 

彼は、私が

親から虐待を受けて育ったこと、

兄から性的虐待を受けていたこと、

学生時代、売春していたこと、

などを泣きながら話すと、

 

何を言ったらいいか分からないけど・・・、と言って、

泣いている私を抱きしめてくれました。

 

彼のやさしさに触れ、

この人なら、と思った私は、

あなたの子どもが産みたい!

と、

率直に伝えました。

 

結婚を決めてすぐ子どもを授かり、

順風満帆ではないけれど、

幸せな生活が続きました。

 

おなかが大きくなるにつれ、

幸せを感じる毎日でした。

 

 

でも、世に言うリーマンショックで、

会社の業績は急降下していました。

 

 

はじめての妊婦生活ですが、

売上が下がっていることを心配し、

今までと変わらず仕事を続けていました。

 

出産前日まで仕事をする!と公言して数か月。

 

おなかはスイカのように大きくなり、

生産期に入っていました。

 

 

ちなみに、

このころ、妊婦は長時間眠れなくなります。

 

出産後すぐは

2~3時間おきに授乳するため、

それに適応するよう体が準備するらしいのです。

 

私も

2~3時間ごとに起きてしまっていましたが、

その意味を聞いて、

人体の神秘!

と感動しました。

 

 

そんな寝不足な妊婦生活を過ごしていた

2008年の9月11日、

目覚めて立ち上がると同時に破水しました。

 

そのまま産院へ向かい、

破水から約12時間後の、

午後20時10分に、

無事3750グラムの長男を出産しました。

 

はじめてのわが子は

とにかく可愛く愛しく、

出産後1か月は仕事を忘れ、

赤ちゃんとの時間を過ごしました。

 

出産2か月目から、少しづつ復帰し始めました。

 

とはいえ、

生後2か月のわが子を預けられる先は無く、

子どもを連れて出社していました。

 

レンタルしたベビーベッドを事務所に置き、

事務のパートさんに

抱っこやお散歩をお願いしました。

 

そんな感じで

準備も協力体制も整えていましたが、

外出しての営業活動や

現場に出ることは難しく、

 

ほとんど、事務や来客対応など、

抱きながらできる仕事をしていました。

 

リーマンショックの影響で、

日本の景気はどんどん低迷していきました。

 

私の就業時間が

短くなったこと、

営業活動が

できなかったことなども重なり、

 

会社の業績もどんどん下がっていきました。

 

可愛いわが子を抱きながら

仕事ができる喜びを

感じていましたが、

 

それと同時に、

 

子どもを産むのは

早すぎたのかもしれない・・・

 

という思いが胸にありました。

 

4月になり、長男が保育園に通うようになりました。

 

さがった業績をなんとか上げようと、

エリアを広げて郵送でのDMを打ち、

顧客を回り、

見積もりに出かけ、

現場作業にも出て、

思いつく限りのことをしました。

 

産後しばらくの生活と打って変わって、

毎日9時間以上、

仕事に明け暮れました。

 

でも、なかなか業績は回復しませんでした。

 

手助けしてくれる親せきもおらず、

慣れない育児と、

忙しい仕事に追われる毎日でした。

 

会社の業績・資金繰り悪化の

不安や

プレッシャーも手伝って、

体調不良が続いていました。

 

長男が保育園に入園した4月から、

毎月一回は

39度以上の熱を出していました。

 

それでも頑張るしかなく、

奔走する毎日。

 

そんなある朝、

目が覚めて起き上がろうとした瞬間、

激しい頭痛に襲われました。

 

爽やかな秋晴れの日でした。

 

立っていられないほどの頭痛です。

 

生まれて初めて経験する激痛に、

その場に倒れこみました。

 

時間が経っても治まる気配はなく、

目を覚ました夫に抱えられ、

近所の病院を受診しました。

 

病院では、

座っていることすらままならず、

うめき声をあげながら、

横たわっていました。

 

医師は

慌ててやって来て、

救急車を呼ぶように、看護師に指示しました。

 

クモ膜下出血かもしれない、

と告げられました。

 

間もなく到着した救急車搬送され

近くの総合病院に

担ぎ込まれました。

 

痛みは一向に治まらず、

CTスキャン

MRI

髄液の検査もしました。

 

しかし、異常は発見されません。

 

仕方が無く、

強い痛み止めを処方され、

寝たきり生活1週間続きました

 

立ち上がると

強い痛みが走り、

トイレに立つのがやっとのほどでした。

 

日が経つとともに、

徐々に痛みは無くなり、

1週間たつころには、

すっかり元気になっていました。

 

私は29歳で、

長男は1歳になったばかりでした。

 

大きなストレスを抱え、

体の疲労も溜まり、

心身ともに限界だったんだろうと思います。

 

救急車で搬送された病院や、

一週間の病床で、

自分の死が迫っている恐怖を味わいました。

 

そして、

今日死んでも後悔しないかな、

と自問しました。

 

死の淵で、

もっと家族に優しく接すればよかった、

怒らなければよかった、

仕事を頑張ればよかった、

人生を楽しめばよかった、

なんて後悔しても、

 

意味がない。

 

いつ最後の日が訪れてもいいように、

『明日死んでもいい生き方』

をしようと心に誓いました。

 

 

そして、

体にこんなに負担をかけるほど努力しても

成果が出ない

法人向けの事業を、

続けていていいものか、と

考え始めました。

 

私の会社の主な事業は

賃貸住宅の原状回復リフォーム業。

 

売り上げは、

お客さんの経費にあたります。

 

大半の法人顧客が

経費削減につとめ、

明らかに発注金額が激減していました。

 

また、

超格安で請け負う職人たちが、

新規参入していました。

 

他社の見積もりを見せられ、

値引きを要求されることも

しばしばありました。

 

 

このまま努力し続けても、

利益は出ないかもしれない。

 

 

そんな

法人向け事業の代わりに

私が思い浮かべたのは、

創業当時の事業案である、

一般消費者向けの

ハウスクリーニングや家事代行業でした。

(同業で有名なのはダスキンです。)

 

寝たきり生活の間中、

考え続け、

クモ膜下出血疑惑が発生した一週間後、

業務に戻ると同時に、

事業内容を変更することを決めました。

 

さっそく、

ホームページ製作会社と契約したり、

SEO効果を出すという会社と契約したり、

手探りでPPC広告を出したり、

比較サイトに出稿したり、

スタッフ全員で飛び込み営業したり、

 

ハウスクリーニングや家事代行業で

売り上げを立てるべく、

行動を始めました。

 

4年以上実績を積んだ事業から、

まったく経験のない事業への転換は、

失敗と苦労の連続でした。

 

ホームページ製作は高額で、

集客できるノウハウを持つ会社はありませんでした。

 

SEOやPPC広告を出すも、

受け皿となるホームページが不出来で、

そもそも効果が出ません。

 

比較サイトは手数料が高額で、

合い見積もりが前提のため、

利益が出ません。

 

案外よかったのが、

スタッフ全員での飛び込み営業です。

 

でも、

単発での受注はできるものの、

定期案件にはつながりませんでした。

 

せっかく高額案件や、

定期案件が受注できても、

 

自宅という超プライベート空間でのサービスだからか、

そうじという客観性のない商品だからか、

数字やモノが残らないからか、

 

クレームや手直しも多く、

現実は

病床で思い描いた事業案とは

かけ離れていました。

 

 

赤字が続き、

何度か夫の両親にお金を借りました。

 

それでも新事業で奮闘し、

年を越しました。

 

第14話に続く

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高校中退アホ女子が起業して年収1000万を得たストーリー

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中村華子プロフィール

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はじめまして、中村華子です。
3人の子どもと暮らすシングルマザーです。

親から虐待されて育ち『支配される恐怖』のなかで子ども時代を過ごしました。

アホ女子高校を中退しフリーターしていましたが、

『一生、誰にも支配されない生き方がしたい』と25歳だった2006年に起業し、1年で年収1,000円になりました。
↓2年続けて、本を二冊、出版しました↓


 
女子でも、

学歴も、才能もセンスも、

コネも人脈も、 経験も特技も、

何にもなくても、

依存せず自立できることを、身をもって体験しました。

 

少し昔の私と同じように『今を変えたい!』と思っていたら、
大丈夫です、ぜったいあなたでもできます!と伝えたい。

そのために、私の経験や知っていることを活かして欲しい。 そう思って、ブログを書いています。


もしすこしでも私のことに興味を持たれたら、ためしに読んでみて下さい!

アホ女子高校を中退したフリーターが、起業して年収 1000 万を得るまでレポート

 

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もし長い文章でも良ければ、こちらも読んでいただけると嬉しいです。
(左の画像をクリックすると、ストーリーが読めます)

恋愛、仕事、起業、二度の結婚と離婚、出産、子育てなどなど、隠すことなくいままでのすべてをさらけ出した、私の生い立ちストーリーです。
寝不足になってしまう、と好評です(笑)。

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