第17話 苦労の連続だった、離婚への道

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忙しさも落ち着いてきた、

月の連休の初日でした。

 

きっかけとなる事件が起こったのは、

つわりの真っ只中に訪れた義実家です。

 

出合い頭に義母から

 

『妊婦なのに長女を抱いていいの!?(怒り口調)』

 

と言われ、

じゃー誰が抱くんだよ!と思っているところに、

 

『ちゃんと妊婦健診行ってるんでしょうね(尋問口調)』

『ちょっと、まさかアルコール飲んでないわよね(尋問口調)』

 

と畳みかけられました。

 

・・・余計なお世話です。

 

そんなに仲良くもない義母に、

つわりで辛いなかに浴びせられる言葉。

 

そばにいる夫は知らんぷり。

 

言い返すこともできず、

別室に移り泣いていると、

長女が心配そうにやってきました。

 

ママ、ないてるの?だいじょうぶ?

 

優しく寄り添う長女に、

情けないやら申し訳ないやらで、

さらに涙があふれてきます。

 

妊娠初期でホルモンバランスが崩れ、

情緒不安定だったことも

手伝いました。

 

続いて夫がやってきて、

『どうしたの?』

 

・・・どうしたのじゃねーーーーよ!

 

義母のあんな言い方、失礼じゃない!?

つわりで調子が悪いって、あらかじめ伝えてあるのに!

なんであなたがかばってくれなかったの!?

 

私はまくしたてました。

 

近くにいたのに守ってもらえなかった。

 

そんな悲しみ、

悔しさを伝えたくて、

泣きながら言いました。

 

『・・・ごめん、気づかなかった』

 

隣にいて、気づかない訳ない。

 

目が合ったよね!?

・・・もう、いい。

帰る。

 

そうつぶやいて、長女を抱き、

帰り支度をはじめました。

 

玄関まで出ると、夫が

『駅まで送らせてくれないかな?』(歩いて15分以上かかるので)

というので承諾し、車に乗り込みました。

 

しばらくすると、夫が口を開きました。

 

『・・・さっきはごめん。

失礼なこと言ってるなーと思ったけど、大丈夫かと思って・・・。

今までも母は失礼なことを言っていたけど、

はなこが何も言わないから、

大丈夫なんだと思ってた。

ごめん・・・。』

 

もう突っ込みどころが多すぎて、ビックリしました。

そう、今までも結構失礼な人だったんです、義母は。

 

でも、気付いてたのね!?

そのうえで放置していたのね!?

 

 

駅に着くと、長女と荷物を抱え、無言で降りました。

 

電車の中で、

やっぱり悲しくてボロボロ涙が出ました。

 

ふらふらの状態で、

やっと自宅に帰り着き、

一息ついたとき、

夫が長男を連れて帰ってきました。

 

お泊りの予定だったので、驚きました。

 

私のことを心配して、

そして反省してくれたのかな。

 

そう思い、

ほんの少し嬉しい気持ちになりました。

 

もう一度、

守ってもらえなかった悲しみや辛さを伝えました。

 

言葉にすると、

気持ちがよみがえってきて、

泣きながらわめきました。

 

夫は下を向いて、

 

ごめん…

 

とつぶやくばかりでした。

 

その日の夜、

家族が寝静まってから夫はひとり家を出て、

帰ってきませんでした。

 

翌朝、

夫の不在に気づき電話をするとつながりません

 

メールしても返信もない。

 

私はつわりで

歩くのもつらいのに、

4歳と1歳の子どもの面倒を

一人でみなければいけませんでした

 

冷蔵庫は空っぽ、

買い物にも行かなければなりません

 

私が正直に気持ちを伝えたのに、

彼は逃げてしまった・・・!

 

夫の外泊に、不安よりも怒りがこみ上げてきました。

 

『逃げないでよ!』

『ふざけんな!』

『子どもの世話押し付けて、どーゆーつもりなの!』

 

お昼を過ぎても

連絡ひとつ寄こさない夫への怒りを、

荒っぽい言葉でメールにしました。

 

何度も何度も。

 

やっと返信が来た15時、

メールにこう記されていました。

 

『ごめんなさい。離婚したいです。』

 

その文章を見て、

驚きを通り越して、呆れました。

 

はぁ!?

なに言っちゃってるの、この人。

 

 

夫ははじめて雇った正社員であり、

当時はたった一人の従業員でした。

 

会社のこと、

仕事の大変さなど、

よく分かっているはずです。

しかも、私のおなかには三人目の子どもがいました。

 

ケンカは1年に一回もないし、

夫は育児も家事も協力的で、

仕事の話しでも盛り上がれる、

友だちがうらやむような、仲良し夫婦でした。

 

そんな夫から離婚を望まれ、パニックになりました。

 

メールではらちが明かないので、

とりあえず帰ってくるよう返信し、

間もなく夫が帰宅しました。

 

聞くと、

家族が寝静まってから家を抜け出し、

ファミレスやネットカフェで夜を明かしたそう。

 

『はなこが怒ると、おれ怖くなっちゃうんだよ・・・。

委縮して、なにも言えなくなっちゃうし、

考えられなくなる。

だから・・・離婚してください。』

 

うんうん、なるほど。

確かに、私怒ってたよね。

って、

 

うなずけるかーーー!!!

どんだけ無責任なんだーーーー!!!

 

 

私が、

子どもたちの世話を見るのが大変だったと責めると、

 

夫は

子どもたちを連れて実家に帰ってしまいました。

 

一人になると、不安が押し寄せてきて、

涙があふれてきました。

 

 

今でだって、

夫無しでの会社と家庭の両立は考えられない。

 

なのに、離婚して、

そのうえ赤ちゃんが生まれたら、

どうなってしまうんだろう・・・

 

こんなことになったのは、私のせいなんだ・・・

 

 

誰もいない部屋で一人、泣き続けました。

 

どうしたらいいのか分からず、

とにかく不安で、自分を責めました。

 

その後、何度か話し合いをしました。

 

なんとか頑張ろうと

意見を一致させたこともありました。

 

でも、守ってくれず、

逃げだした夫への嫌悪感を拭い去ることができず、

 

日に日に溝が深まっていきました。

 

 

よく、

女はいちど冷めたら

また気持ちが戻ることはない、

と聞きますが、本当ですね。

 

私はこの件以降、

夫に触れることにすら、抵抗を感じるようになりました。

 

夫から離婚を望まれてから2か月後には、

夫婦の会話は無くなっていました。

 

休日は、

夫はいつも、ひとりで外出してしまい、

晩ごはんまで帰ってきません。

 

私は大きくなるおなかを抱えて、

休みのたびに

4歳と1歳の子どもをプールや公園に連れて行っていました。

 

夕食は食卓を一緒に囲むものの、

やはり会話はありません。

 

夫は食事が済むと、

隣室の隅っこに腰を下ろして、

照明もつけず、

眠るまでスマホをいじっていました。

 

私は子どもと会話していましたが、

夫は子どもにも話しかけません。

 

話しかけられて、やっとぼそぼそ応える程度です。

 

子どもたちには、

夫婦の仲のいい姿が、

何よりの教育になると思っています。

 

でも、

いさかいあう夫婦の姿は、

何よりも子どもの心を傷つけます。

 

 

幼いころにそれを経験していた私は、

自分の子どもたちには、

同じ思いをさせたくありませんでした。

 

このまま夫婦でいたら、

きっと子どもたちに辛い思いをさせてしまう。

 

どんどん距離が離れていく夫の姿に、私も離婚を決意しました。

 

それは離婚の話が出て3か月後、

うだるように暑い、妊娠7か月の時でした。

 

ちなみに、私は出産前日まで働いており、

この頃は仕事と家事すべてと

育児のほとんどを、私がしていました。

 

離婚を決めてからは、

夫が退職しても会社が成り立つよう、

必死で仕組みづくりに取り組みました。

 

あと3ヶ月して赤ちゃんが産まれたら、

しばらく働けなくなってしまう。

 

その前に、

私が産休に入っても維持できる組織にしなければ・・・

 

三人目ですから、

予定日より早く産まれるかもしれません。

 

会社の体勢を整えるための業務と、

マーケティングと、

日常業務と、

 

2冊目の執筆と、

 

そして離婚のための公正証書の準備や、

出産のための入院準備、

産後の準備、

子どもたちの戸籍変更など法的な準備、

 

育児と家事と・・・

 

その合間に妊婦健診に行くという、

壮絶なスケジュールでした。

 

 

離婚について、

まずは義実家の両親に相談しようと、

一席を設けました。

 

義両親と私たち夫婦の日程を調整し、

8月末の土曜日のランチに4人で会いました。

 

この席がひどかった。

 

義母が選んだお店に行くと、

お祝いで使うような高級な割烹風レストラン。

 

義両親はビールで乾杯。

 

となりの個室

結納の会食と書いてありました。

 

なんのお祝いですか、これ???

第三子妊娠8か月で、離婚の協議ですけど!?

 

唖然とする私をよそに、

ご機嫌で高級ランチを食する義両親。

 

そして、口を開いた義父の一言は驚愕でした。

 

『(夫に向かって)きみ、離婚したいの?

そっかー、

きみが離婚したいんじゃ、しょうがないよなぁ~。』

 

えーーーーーーー!

しょうがないの?

あっさりオッケー!?

夫の責任とか、そーゆーの無いの!?

 

いやぁ思い出してもビックリです。

 

義母も、そうよねぇって頷いていました

 

 

てっきり、

うちのバカ息子が迷惑かけて申し訳ない、

そう謝罪されるとばかり思っていました。

 

想像と現実のギャップが大きすぎて、

かなりパンチがありました(笑)。

 

謝罪どころか、

『はなこちゃんがキレすぎて、息子がかわいそう』とか

『そんなキレててよく経営できるもんだ』とか、

『ひとり親がどんなに苦労するか知らないんだろう』とか、

 

義両親から責められ

訳の分からない侮辱をされ続けました。

 

義父は接骨院を開業して20年ほど、

義母は定年まで区役所勤めの公務員です。

 

自営業者と公務員は変な人が多い、

とは

本当なんだ~、と実感しました

 

(私も自営業者ですが;)

 

結局その日は、私が作成していった、

【離婚をするにあたっての公正証書の内容案】を配り、

終わりました。

 

その場で内容を固めたかったのですが、

その場では返答できないと、

後日返答いただくことになりました。

 

義母が支払ってくれたランチ総額は

3万7千円でした。

 

3万7千円の高級ランチ・・・。

 

私にとって、4か月ぶりの外食でした。

 

離婚に備え、

1円でも多く貯めねばと、

倹約に倹約を重ねていたのです。

 

そんな思いは、義両親には理解できないかもしれません

 

なにも決めることができず、

なにも得られず、

妊婦なのに誰からも気遣われず非難され、辛い時間でした。

 

自宅から電車を乗り継ぎ、

1時間30分かけて、

わざわざ侮辱されに行っただけのようなものです。

 

うだるような暑さの中、

電車を待っていると涙があふれました。

 

涙は、電車に乗ってからも止まりませんでした。

 

それから待つこと一週間、

夫からメールが来ました。

 

『うちの親が公正証書の内容案を修正してほしいそうです。』

 

義両親が求める修正箇所は、

・夫の保証人にはならない

(義両親には夫の保証人になってほしいとお願いしていました。)

・子の権利として祖父母、曾祖父母との面会交流させること

・慰謝料という表記を財産分与に変更すること

(慰謝料とは、支払う者に非があるという意味だから、と)

などでした

 

そもそも、

夫の保証人にならないのなら、

義両親は

離婚協議に口をはさむ権利などありません。

 

でも、

8月末に相談した=関与させた、

とのことで、

最後の最後まで口を出してきました。

 

9月下旬に公正証書作成、

翌日に離婚届けの提出、

1週間後には引っ越し、別居と進むのですが、

この公正証書の内容協議に、実に1か月を要しました。

 

内容を修正すると、夫は必ずこう言いました。

『うちの親に確認してもらうので、少し待ってください。』

変更のたびに、1週間ほど待たされました。

 

第三子が産まれた後では、

いろいろな手続きも、引っ越しも、

容易にはできません。

 

出産予定日が迫ってくるにつれ

焦り

本当にイライラしました。

 

事務所で義母からの内容案をみて、

憤りすぎて、

人生初の過呼吸になったこともありました。

(息が荒くなり酸素を吸いすぎて、手先がマヒして震えるんです。)

 

そんなやり取りを繰り返して一か月が経ち、

やっと内容が固まって、

公正証書作成日の前日を迎えました

 

夫からメールが来ました。

 

『あなたはぼくに100%(離婚の)原因があると思っているようですが、

ぼくは対等であると考えます。

養育費も、

3人合わせても月に3~4万が妥当だと思います。(案では3人9万円)

このままでは協議にならないと考え、

離婚調停でないと折り合いがつかないよう思います。』

 

・・・なんだ、こりゃ。

 

私は、キレました。

キレてメールしました。

 

今更、いい加減にしてもらえませんか。

離婚調停をしたいとは、

公正証書の作成日前日に言い出すことではないですよね。

 

そもそも、

調停とは意見が対立し折り合わない場合に

利用するものです。

 

私の要望に対するご意見などを聞く時間は、十分にとりました。

ご両親含め、ご希望はおっしゃいましたよね。

 

家庭内では明らかに異常な様子で過ごし、

休日も全く子どもたちと過ごさず、

これ以上、別居・離婚を先延ばしにして、

子どもたちへの影響はどうお考えですか。

 

私の出産を間近に控え、どうするおつもりですか。

 

ご自身の子ども3人を、

毎月3~4万円で養育できると思ってらっしゃるんですか。

 

今晩、共通の知人とお会いになるそうですので、

その人と子どもたちの前でお話ししましょう。

 

私は、これ以上、

子どもたちと臨月の自分にストレスがかかることは耐えられません。』

 

メールをして数分後、電話してメールの内容を話しました。

 

知人と子どもたちの前で話そう、

というのが効いたのか、

私の気迫が伝わったのか(笑)、

翌日、予定通り公正証書を作成することができました。

 

第18話に続く

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中村華子プロフィール

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はじめまして、中村華子です。
3人の子どもと暮らすシングルマザーです。

親から虐待されて育ち『支配される恐怖』のなかで子ども時代を過ごしました。

アホ女子高校を中退しフリーターしていましたが、

『一生、誰にも支配されない生き方がしたい』と25歳だった2006年に起業し、1年で年収1,000円になりました。
↓2年続けて、本を二冊、出版しました↓


 
女子でも、

学歴も、才能もセンスも、

コネも人脈も、 経験も特技も、

何にもなくても、

依存せず自立できることを、身をもって体験しました。

 

少し昔の私と同じように『今を変えたい!』と思っていたら、
大丈夫です、ぜったいあなたでもできます!と伝えたい。

そのために、私の経験や知っていることを活かして欲しい。 そう思って、ブログを書いています。


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